信頼
どんなに頼れる人でも
どんなに自分を愛してくれる人でも
信頼という壁を越えきれない。
どうしても、どこかの観点において
素直に信じられない、が出てきてしまう。
基本的に人を信頼はしない(しかし信用はする)人なので、
どこまで人に求めたらいいのかがさっぱり。
人って面倒だなあ。
だから楽しいと思うのだけど、これならなくても良かったかもしれない。
Impression:Where I lived, and What I lived for
久しぶりです。
今回は第二章の感想文ですね。
早速行きましょう。
この章の内容自体は、タイトルの通り、
住んだ場所、そして住んだ目的について書かれています。
これに関しては頭の中でひとつ出来てて
彼は自然とのつながりの中に人間の本質を見出そうとしたのかな、なんて思っています。
と、いうのも人間って結局は自然から生まれたものだ、ということと時代背景を考えると、人間と自然との間柄が薄くなっているものだと、思うんですよね。
住んだ場所に森を選んだ理由のひとつの側面として、これがあるんじゃないかなと。
読んでて疑問に思ったことは、どうやって一日で一年の生活をしてみたんでしょうかね、という1点これに尽きます。
さて、短くなりましたがとりあえず今回はここで終わりにしておきますか。
誰かを守るということ
そもそも、誰かを守るって時点で
傲慢も甚だしいんだよ。
どうも。美弥です。
ぶっちゃけタイトル関係ありません。
いや、でも関係なくはないか。
誰かを守るというよりは、
誰かの話を聞いて、慰めるってとこがどうやらわたしは弱いようで、
変に傷をつけていないか、心配に思う部分があるんですよね。
そうなるたびに、ある一人の恩人を思い出して、
「ああ、こういうことか」ってなる時が多いっていうか。
まあ、でも、変に着飾った言葉よりはましなのかな、
なんて思いつつ、それでも・・・うーん。わかんない。
答えが出ることが全てじゃないことも、
学生風情が考えた程度のものがそんないいものじゃないってことも、
わたしは分かっている。わかっているんだけど。
他人のことなんて、って思うかもしれないけど、
それ言ってくる方々はもう少し、今のご時世を逆の視点から考えていただきたいものだ。
いや、もうすでに考えてそれならもういい諦めるから。
Impression; Economy, Walden
お久しぶりです。
今回は、"Walden"の、"Economy"の感想を書いていこうと思う。
読んでて思ったのが、
「ラテン語源多すぎやしませんか?」
まずそこで一度挫折したもんだから、大量に辞書を買い込み、
再スタート。二ヶ月かかりました。
ここから本題。
やっぱり本の、論文といったほうがいいのか、最初の部分だから世界観をうまく作るために最初の章が長くなるのはなんとなく頷ける。ソローの家を作る過程、着ていた服、食事およびそれにかかったお金、労働といった観点から、あらゆる側面から人間の最小値を出そうとした(この表現自体そこまでうまいものではないけど)、という立場が見える。
一方で、もともと教育者だったこともあってか、はたまた当時の教育に疑念を抱いていたからなのか、教育の再生産を非常に嫌っているという側面も見えて、ただ、かといって古いものは全部排除すればいいと言われたらそうでもなく(これに関しては"Reading"の章で触れるが)、これに関しては新しい観点を大切にする考えという方がしっくりくる。昔の人には昔の人の、今の人には今の人の考えがある。その今の人なりの考えを尊重する立場である。
ただ、まだ分かっていないのがソローの向かっている先で、ソロー自身この本を執筆しているときにはまだ答えが見いだせていなかったのだろうかと考える。これに関しては単なる思いつきというか仮説というかなので頭の片隅に置いておきながら次の章から読み進めていく。
ひとまずここまでが感想。
今のところ四つ目の章が読み終わったところなんですけど・・・
結構楽しいですね。
全部読み終わった先には何が見えているんだろう。読んでてここまで楽しいと思えた本はほとんどないので、本当に読み終わった時が楽しみすぎる。
ではまた会いましょう。
ほんじゃらほい。
Impression; The Story Of Doctor Dolittle
どうもお久しぶりです。
もっとも、読んでる人なんていないものと
考えていますけどね。
個人的に、思ったことをメモとして残してるわけで。
あくまで記録ですからね。ええ。
それはさておき。
読み終わったので一応感想。
一応、わたしの親は両方とも日本人であり、母語も日本語である、
というのを前提においておきますね。
さて、このドリトル先生、
語学的な観点から見て思ったのが、わたしの感覚で読みづらいな、ということ。
もっとも、地の文だとそんな大差ないけど、口語の方になると慣れてないと読みづらい、という印象があって、以前読んだオズより読みづらかった。
のだが。
向こうの国の感覚では、オズは小学校六年向け、ドリトル先生は四年生向けと、
どうやら感覚は逆らしい。いやはや面白いものだ。
ただ、使用語彙のレベルはオズとそんなに大差ないんじゃないかなあ。なんて思ってはいるので、
ちょっと英語に自信がある高校生とかには勧めてみたいものではある。もっとも、文体に慣れていないときついものがあるけど。
んで、内容に関しての感想はというと、
・・・なんだこのギャグマンガ。につきます。
いやいやいや、前半はどう考えてもギャグマンガでしょうよ。
なんだったらこのドリトル先生の名前だってそうですよ。do-littleですよ。直訳するとボンクラだとか能無しですよ。いや、いくら動物の声が聞こえてたとしても、きっと、この前提は変わらないとわたしは考えますよ。ええ。
ただ、あくまでそれは人間の価値観の中での話。
動物たちの信頼を得ることで彼はいろんなことを成し遂げることができたんじゃないかな。とも思っています。牢にぶち込まれた時も、サルを治す時も、海賊を出し抜いた時も、漁師を助けた時も、彼は動物と話すことができなかったら、なにひとつうまくいかなかった。そう考えると、何もできない、という意味合いより、ほんの小さいことだけでも、極めればそれは生きる上で大きな武器になる、という意味合いで、do-littleな男が自分の可能性を切り開いていく物語のように、読み終わってからは思いましたね。はい。
と、感想文でした。
次は"A little Princess"
を読もうと思ってます。
ではでは・・・
雑記
なんでもいいから何か書け。
と言われたら好きなものばかり書いて
嫌いなものをポイって捨てちゃうからあらゆる面で偏食家です。
そう、今のこの記事も
なんでもいいから思ったことをちゃんとアウトプットできるように
なりなさいというコンセプトのもとで書いていて。
いやこれ、吉田兼好でなくとも気が狂うわ。
一日中ではないにせよ、ぼーっとパソコンに向かって
心に出てきた取るに足らない何かをなんとなく書き続けてたら
そりゃあもう。
さて、前置きはこのくらいにして・・・
英検の二次の受験票が届きまして。
少しだけモチベーションが上がっています。
使う英語の区分こそ違えど、
やっぱり、客観的な英語力って必要かなあって思って。
いくら普段から洋書読んでたり外国の友達と
普通に話すからといって客観的なそれがないと後々不利だよね。
なんて思って。
それで、読む本もオズを読み終えたものだから
今度はドリトル先生アフリカ行きを読んでいるのですが、
少し文体には慣れないなって感じです。
特に、口語の英語が見慣れない感じのものだったから、前読んだオズよりも
レベルは高いのかな。と、踏んでいたらそうでもなくって。実際は(英語が第一言語の人の感覚で)ドリトルはオズの2ランク下で。
これには素直に驚いたな、って感じです。
なんか、言語の感覚の違いを改めて認識させられた感じ。
ま、読めなくはないんだけどね。
どこぞのウォールデンに比べたら・・・(白目)
いつもどおり、あまり
まとまった形にならないオチのつき方であれだなあ。
明日から
大学祭です。はい。
わたしは特別なにかをするってわけではないのですが。
いや、でも大学に入ってから明らかにね、
学祭が鬱イベントって言う人が増えたような増えてないような、
そんな気がするのですよ。
わたしは特別なんとも思ってないけど・・・。
でも実際、楽しそうな人をどこか遠くから眺めているのは
とても楽しいんですけどね。
個人的にはそれで十分。
今年は行きませんけどね。
最近思ったより退屈です。
面白いことがあればいいのですが。